雑記

待ち受けていた3つのアクシデント〜整動鍼北海道セミナーレポート②〜

前回はこちら

地方空港のハンディキャップのため1泊2日のセミナー(しかも復習)に3泊4日の旅程で参加することになりました。

そのせいか出発前から修学旅行気分です。


前日までは何事もなく過ぎ、当日を迎えます。



が、しかし思いもよらぬアクシデントが待ち受けていました・・・。



◯第1のアクシデント:乗り換えミス

無事北海道に着いたことだし札幌ラーメンを先にしようか、谷地先生のお宅訪問を先にしようか、時間の効率的な利用のため、トイレにこもって用を足しながらスマホとにらめっこして作戦会議を行います。

新千歳空港から谷地先生の治療院への最寄駅、白石駅には直通の電車がないため必ずどこかで乗り換えが必要です。
候補は札幌駅か北広島駅の2択。


札幌駅での乗り換えだと一旦白石駅を通り越してから戻る感じになります。この場合駅で札幌ラーメンを食べてから向かうのが得策です。




北広島での乗り換えだとロスなく白石駅に向かえ、電車賃も数百円お得です。さらに谷地先生にオススメのラーメンを聞いてから食べに行くことが可能です。(事前に調べておけという意見はとりあえず無視します)








決断の時が迫る・・・!!!








北広島駅での乗り換えを選びました。

検索情報をよく見ると「3・4番線発/2・3番線着」とあります。
これが運命の分かれ目となりました。




3番線に到着し、目の前にあった4番線の列車に疑いもなく乗り込みます。

流れる車内アナウンス「この列車は小樽方面・・・」

このアナウンスにハッとします!

「え?札幌じゃない?間違えた?」

そう思った瞬間、電車を降りていました。

無言で電車を見送り再検索・・・

・・・スマホの画面を呆然と見つめながら肩にかけていた荷物を力なく地面に降ろしました。



冷静になった今なら分かります。間違えていませんでした。

見知らぬ土地で目的地と違う地名を聞いた瞬間に間違えたと思ってしまう田舎者特有のあの感覚!
誰か言葉にして辞書に載せてください。





◯第2のアクシデント:ラーメン

時計を見るともう1時近く。
最短で谷地先生の治療院に向かえる電車を勘違いから無為に見送ってしまったため、お腹が空いていた私は順路を変えることにしました。
まずは札幌駅でラーメンです。

札幌駅の駅ビル「エスタ」の中にある「札幌ラーメン共和国」に向かいます。
エリア内を一回り。どこのラーメンが美味しいのかは分かりませんが、どこも一様に大きめのチャーシューを乗せた味噌ラーメンがイチオシのようです。
あまりにもお腹が空いていたため「どこでもそんなに変わらないだろう」と軽く考え、すぐに座れそうな「梅光軒」というお店に入ります。

「炙りばらトロチャーシュー麺」と餃子を注文し、荷物を降ろし出された水を一口。
乗り換えミスをしてから重く感じていた体に水分が染み渡ります。

ホッと一息。


何気なく調理場の暖簾に目を向けます。


「旭川ラーメン 梅光軒」


ん?


「旭川ラーメン梅光軒」


ん?目をこすりもう一度・・・




「旭川ラーメン梅光軒」


あーーー!札幌ラーメンじゃなーーーい!!!



もう何も言えません。

札幌ラーメンを食べにきたはずなのに数ある店をかいくぐり旭川ラーメンをチョイスしてしまうとは!
もう完全にどうかしています。


味は・・・とても美味しかったです!




◯第3のアクシデント:目印が消失

お腹を満たして谷地先生の治療院に向かいます。

白石駅から谷地先生の治療院快気堂鍼灸院白石までの道のりはホームページの案内を頼りに向かいます。


シェル石油のスタンドで曲がればそのまま一本道。迷うこともないはずです。



案内に従って出発!




目印のシェル石油のスタンド目指して歩くこと数分、目の前にサンドラッグの看板が見えてきます・・・。




え?あれ?この簡単な道を間違えた???



すでに2つミスを犯し、もう自分を信用できない精神状態です。
スマホの地図アプリも開き、情報を総動員して正解のルートを探します。



ん・・・そういえば、さっき敷地内に覆いをして中を工事しているところがあったような・・・




やはりそうでした。
目印であったはずのシェル石油のスタンドは閉鎖され別の何かに変わるための工事中。
それと気づかずボーッとシェルの看板だけを探していた私はそのまま通り過ぎ、行きすぎましたよ、の目印であるサンドラッグまでたどり着いたのでした。


もう判断力とか無くなってますね・・・。



ともかく、何とか快気堂鍼灸院白石にたどり着きました。

今回の教訓「知らない土地の下調べはしておこう。」






絵の余白

最近活法と合気道の話題ばかり続いていたので今回は別の話題にしようとしてiPhoneを手に取りました。(私はブログ記事は全てiPhoneで書いています)


しかしいざ最近頭に浮かんだことはというとやはり活法と整動鍼と合気道の話ばかりです。
恋愛の話だとか最近流行のものの話でもすればいつもと違った人が読むかもしれませんが、その方向には極端に疎く、話題が一切広がりません。

あとできそうな話というとゲームの話でしょうか。ゲームというと私の中ではFFとFEが二大巨頭です。

FFは言わずと知れた「ファイナルファンタジー」シリーズ。
FEは分かる人は分かる「手強いシミュレーション」ですね。




そうそう、FFと言えば先日ここに行ってきました。


天野喜孝・弓彦親子によるファンタジーアート展です。


今ではFFシリーズのⅦ以降しか知らない世代もいるはずなので、「FF=天野喜孝」というイメージを持っているのはアラフォーかそれより上の世代かもしれません。


会社が潰れそうだった1980年代のスクウェアがこれが最後になるかもと思いつつ、社運を賭けて発売したのが第1作目の「ファイナルファンタジー」だというのは有名な話ですが、現代と違い、当時のゲームは情報が少なく、CMとか箱の絵柄が買う際の決め手になっていた節もありました。いわゆるジャケ買いというやつですね。
そこでスクウェアが依頼したのが天野喜孝さんだったわけです。






天野喜孝さんはタツノコプロで「タイムボカン」なんかのキャラクターデザインをし、後に独立。人気も実力もある絵描きさんで、小説の挿絵なんかも多数手がけています。
今回の展覧会のイメージ絵にもなっている菊地秀行さんの「吸血鬼ハンターD」シリーズや、マイケル・ムアコックの「エルリック・サーガ」をはじめとする「エターナル・チャンピオン」シリーズなんかの挿絵が有名ですね。




ちなみに最近のファンタジー系ゲームに出てくる武器の1つ、ストームブリンガーはこのエルリックサーガが出典です。




今回の展覧会で並んでいたもののほとんどは石版画によるもので、筆で描いたものと違って複数作っているとのことでした。200〜300枚限定のものが多いようです。


今回の目玉でもあり天野喜孝さんが海外で評価されるきっかけにもなった作品が「街〜エボキシ〜」という作品。

FF6の箱の絵と言った方が分かりやすいですね。



絵描きさんという人種は余白を埋めたくなるものらしいです。
確かにどんなに有名な絵であってもキャンバスの余白を残したままにしているものは少ないですね。

そしてファンタジーアートにおいて何らかのキャラクターを描くとき中央にキャラクターがいないというのもまずあり得ないそうです。

この「街〜エボキシ〜」という作品はその2つの常識を破りながら1つの作品として完成しているわけです。

この絵を観た人達が「ohh... it's amazing !!」と言ったかどうかは知りませんが、とにかくものすごい驚きと高い評価を持って迎えられたことは間違いないようです。


また驚くことに版画の原型となる元の絵は1日のうちに完成するそうです。
というのも、天野喜孝さんは頭の中で描くべき絵のイメージを完成させるまでに膨大な時間をかけ、描く時は休まずに一気に描き切るんだそうです。

何だそりゃ、と思ったものの、同じようにことに臨んでいる人達がそういえば割と近くにいました。


整動鍼は少ない鍼で治療します。そのためには思いつきで鍼をせず、患者の体の症状や状態を把握し、原因を解決できるツボを絞り込んで鍼をします。

つまり「ツボを使って患者が治る道筋やイメージが完成してから鍼をする」わけです。

治療がうまくいかない時というのはこのイメージがハッキリしていません。
逆に上手く行く時というのはイメージがハッキリしているので、ほぼその通りのことが起こります。


「準備に重きをおく」という考え方は孫子の兵法にも通じます。



元の才能が違うので同じような取り組み方をしたからといって天野喜孝さんのような絵を描けるわけではありませんが、絵、兵法、鍼灸と全く異なる分野から導き出される方法論というのは1つの真理と言っていいのではないかと思います。


絵を観に行ってまで結局治療に関わることを考えてしまうというのは、そろそろ人として問題がありそうな気もしますが、似たような人が全国にチラホラいるのを知っているので多分大丈夫でしょう。


まとまりがないですが今回強く思ったのは「余白を持てる人間」になりたいな、ということ。
余白を含んだままの完成は色で埋め尽くした完成より、少し余裕を感じます。

原理の裏に当然のようにある前提について〜活法と合気道⑥〜

活法の原理「同調と同化」と合気道の関係です。

まずは活法の理論より。



◯筋肉レベルにおける同調と同化

ここでいう異常部位とは筋肉の過緊張のあるところです。
全体をギューッと緊張させ、正常部位が異常部位と同じ緊張度になると脳は区別がつかなくなり同じものと判断します。
そこで一気に力を抜くと、全て同じように緊張が解けていき、異常な過緊張が無くなるというわけです。



これが合気道ではどう使われているかというと、相手に掴まれた時に行っています。

1番基本的な片手取りで説明します。
相手はこちらの動きを制するべく全力で腕を掴んできます。
こちらは相手と一体になり、フッと力を抜くわけです。そうすると相手の力も抜けてきます。
これが合気道における筋肉レベルの同調と同化です。



あれ?と思った方もいるかもしれません。よく分からないし説明になっていない、そんなの分かっててもできない、と。
まさしくその通りで、これを理論通りに行うには前提となる要素が沢山、ありすぎるほどあります。
ですが、前提を持たない人に理解できる範囲の説明は多分これが限界です。
実際の稽古ではこれを実際に体感し、真似しながら実践し、徐々に身につけていくわけです。
私自身最初に教わった時、説明はチンプンカンプン、実際に体感するとさらにチンプンカンプンでした。
しかし、それを面白いと思いながら稽古できる人でないと理解も再現もできないと思います。

合気道の動きは日常生活の延長線上にはありません。言わば自分の脳のプログラムを書き換える作業です。簡単でないのは当たり前なのですが。

少し前置きが長くなりましたが今回は「相手と一体になる」という部分を説明していきます。
今回は体の使い方にヒントが欲しい方向けです。




【長文注意!内容も多少難しいので納得した上でお読み下さい】






◯相手と一体になる

「相手と一体になる」というのは言葉通りで、相手との衝突がないだけではなく、意識や動きも一体にならないといけません。
一体であれば反発も抵抗もありません。

私が受けた掴んでいる側の感覚としては「掴んでいるのにその場が無いような感じ」がします。

この要素の大前提として掴まれる側の体が「体が一つになっていること」が必要になります。

「体が一つになっている」を分解すると「体のどこにも力みがないこと」と「体の動きが繋がっていること」、さらに「必要な部分が必要な動きのみをすること」が大きな要素になると思います。

それぞれ「脱力」「連動」「コントロール」という風に言い換えることができますが、言い換えるとニュアンスに誤解が生まれます。
このニュアンスの誤解は体感によってしか埋まりませんので深追いはしません。





◯脱力

体の使い方の要素として、世の中に脱力という言葉は溢れかえっていますがここでいう脱力はグニャグニャで自分自身の体勢を崩すこととは異なります。
前提として「動けること」があります。動けないものはここでは扱いません。

先ほど「体のどこにも力みがないこと」と書きました。
一般的にただ立っている人はどこかしら力んでいるものです。力んでいるのは筋肉です。筋肉の力みによって関節が固まり、ぐらつかないようにしているわけです。
しかしながらこうした状態は動く上では不利です。なるべくなら関節は緩み、筋肉も適度な張力を保っている方が動きやすいし、体の力も伝わりやすいので、そういう状態が必要です。

その状態が全身でできればここでいう「脱力」になります。





◯連動

体は各パーツごとに個別に動いているように考えてられがちですが、実際は指一本動かすにも全身の働きが必要です。
連動についても色んな方が述べていますが、ここでは「体の力を手足に伝えること」というに留めます。体の力とは中心力です。中心力の出ている源は臍下丹田なのか臍なのか意見は分かれます。個人的には臍の意識を持つ方が臍下丹田を使いやすいのではないかと思っています。正しいかは今後も稽古の中で研究していきます。





◯コントロール

先の二つに比べ、この要素は語られることがありませんが、個人的には脱力や連動を制御する要素としてかなり重要だと考えています。

背泳ぎでの肩の可動域を例にしてみます。水泳は素人なので間違っているかもしれません。詳しい方は教えてください。
背泳ぎの時の手の動きとして、水から出た腕は肩と骨盤の線上にまっすぐ伸びて入水します。背泳ぎができない人は腕や手先が肩より外側を通るために推進力がうまく出せません。
泳げない方の他、肩周りが固くなってきた高齢の方でたまに見かける動きです。
一方で体の柔らかい女子小中学生などは手先が肩より内側を通り自分の頭の上に伸びている子もいるのです。
体の軸を生かすことを考えると腕や手先は軸を乱さないように使うべきであり、内にいっても外にいっても軸は乱れます。
可動域が広くても狭くても、動きに必要な範囲で使えていなければ結局は同じ「できない」につながります。


体の動きはある程度脳にプログラムされていて、それを実行しているので、意識しなくても体の連動が起こります。
しかし同時に余計なブレーキや動き過ぎが起こります。この原因は何かというと、本来動く必要のない場所や筋肉が動いてしまっているのです。

動きをコントロールするためには余分な動きを見極め、その動きを作り出すために無意識に動いている部分の動きを制限する必要があるのです。





◯足し算と引き算

一般的に動き方の要素は「動けない部分を動かす」「本来出せる力を出す」などというように足し算の考え方が多いのですが、「必要な部分が必要な動きのみをすること」というのは引き算の考え方です。

足し算の考え方の方がが刺激や感動があり、エンターテイメント要素が強く、モチベーションも上がります。
一方、引き算の考え方は素朴で無味、エンターテイメント要素もありません。ここに興味が湧かない人が多いのも納得です。


体の動きの追求は真に「動けることの快」を追求しているとも言えます。
しかし足し算の要素ばかりだと気づかないうちに「動ける自分を承認する快」にすり替わり、動けない自分に目をつむり、他人や技術そのものを批判したり、体の動きの追求から生まれた精神性の追求のみに偏ったりします。
(自分もそういう経験があります)


足し算も引き算も両方あって初めてバランスが取れるのはどの世界でも一緒だと思います。

活法の原理「押し引き」を合気道で生かすと急に技がかかり出す 〜活法と合気道⑤〜

活法は合気道と似ています。両方を学んでいる私が言うのだから間違いありません。

原理に似たものが多いのです。今回は活法の原理の一つ「押し引き」を取り上げたいと思います。


◯押し引きとは?


文章からも分かる通り、押し引きは相手をコントロールするためのテクニックです。武道の技に生かされていないはずがありません。
元々を考えれば活法よりも殺法が先にあったと考えられますので、当たり前と言えば当たり前です。


セミナー内容の勝手な暴露はルール上許されていないので、押し引きのやり方は活法研究会のセミナーで教わって下さい。



◯合気道における「押し引き」
合気道の技で押し引きが見やすいのは固め技の「一教」です。

youtubeで動画を見ると開祖の演武動画の一教には押し引きの雰囲気が見て取れます。(おそらく開祖は無意識にやっています)



0:45の二代目道主植芝吉祥丸先生の技と1:14の開祖植芝盛平先生の技が見やすいと思います。

押し引きがあるので受の相手が一教でいいように崩されているのも納得です。
ちなみに押し引きを知らない人が観ると八百長に見えると思います。


活法を学んでいる方には押し引きの使い方は一目瞭然だと思います。

合気道を学んでいる方は「崩しのところ」と言えば分かるかと思います。


実際、白帯の方に押し引きを伝えて技をかけてもらいましたが、技のかかり方が全く違ったものになりました。
腕だけに影響していた技が急に体全体にかかる感じがありました。


一教は合気道の原理が豊富に詰め込まれている技で、難しい技トップ3を選ぶとしたら外せない技です(笑)

難しさの要因としてこの「押し引き」の問題があるのは間違いないです。


合気道での使い方は私が会長を務める横手合気会の稽古の中でお伝えしています。


活法と合気道②〜型の持つ可能性〜

活法も合気道も1つの技を何度も何度も繰り返し稽古してその精度を上げていきます。いわゆる型稽古ということになります。 
最近は型稽古は同じことを繰り返すだけで創造性が培われず意味のない古臭いもの、という評価をする人も見かけますが、それはその人が中身のない形骸化した型しか見たことがない、稽古したことがないからだと思います。
現代は形骸化した型が多数普及してしまっているためということもあるのかもしれません。

型稽古には2つの側面があります。

①技術の再現手順
②自己変革の題材

実際にはこの2つは分けることはできませんが、いわゆる形骸化した型は片方だけの要素しかないものもあります。

ここから先の話は形骸化していない「型」の話になります。


◯手順通りやれば誰でもできる

技術の再現手順としての型は一般の方の型のイメージと重なります。
型は非常に合理的な理論が展開されているので、手順通りに行えば初心者でもそこそこの成果を出せます。

合気道で言えば素人に原理を体験してもらい「え?何今の?」と言ってもらえるレベルです。
活法で言えば施術によって患者さんに体の変化を感じてもらえるレベルです。この段階にコミュニケーション能力を駆使すれば患者さんからはゴッドハンド認定されると思います。

この段階はコツを身につける段階です。稽古の頻度や密度、指導者の力量にもよりますが数ヶ月〜数年で身につくのではないかと思います。

ビジネスに用いる技術としてはこの段階でも十分に成果が出ます。というよりはこの部分のみがビジネスのして宣伝したりセミナーをしたりできる部分だろうと思います。


◯型で自分の壁を破る

型によって原理を再現できるようになってもそれはただそれだけのこと。
「合気道って実戦で使えるの?」という質問をされることがありますが、この質問に対する詳しい答えはまた別の機会に別の場所ですることにして、ここでは原理を再現できるだけの段階では実戦では使えない人が多いだろうというだけに留めておきます。

ここで自己変革の題材としての型の意味合いが出てきます。
そもそも型というのは実戦の雛形ではありません。相手がこう来たらこう動く、という手順を使うのではなく、その型に取り組むことによって得られるその流派独自の体や心の使い方を身につけるためのものです。

型とは問いです。

正しい問いには答えが深まれているといいます。

型にはすでに答えがあります。その答えにたどり着くために自分がどうあるべきか、ということに向き合うのが型稽古です。

「自然に体が動く」などという体験にも示されるように無意識レベルで型の原理が再現できないようでは実戦での利用などおぼつきません。

その中でも心の働きは重要です。これは理論や指導法だけの問題ではなく年月をかけて悟っていく必要があると思います。

活法で言えば、こうした部分が患者さんに余計な緊張を与えずに施術することにつながります。つまりは安心感や信頼感です。

巷で言われるゴッドハンドと達人の差はこの辺りにあると思います。ゴッドハンドと呼ばれる人は数多くいますが達人と呼ばれる人はごくわずかです。


◯型は創造性を鍛える

合気道開祖植芝盛平先生はある日突然「この技はこうやる」と、ある技を前日までとは全く違う入りで解説し、それが型になっていったことがあるそうです。何か閃くものがあったのかもしれません。
私自身も説明しながらふと「これはこうするんじゃないか?」と閃き、実際に試すとその方が技の原理に沿っていた、ということがよくあります。

型は色々と考えて作られたものではなく、あるときふと体が閃いた動きを再現できるようにまとめたものではないかと思います。

新しい技や型が生まれるときがおそらくそうで、これは発明だとかイノベーションだとかの世界を変えるアイデアが生まれる瞬間と似ているのではないかと思います。


世界を変えた人々の中には瞑想という型を使っている人も多いようです。

顕在意識ではなく潜在意識が出す発想。

型は潜在意識を鍛えるためのものとも言えそうです。


◯それでも型は誤解される

よく「いいとこ取りをした◯◯」という宣伝文句を見かけます。その技法や流派の持つ「いいとこ」というのはその全体像を自分のものにして初めて見えるものです。
誰かが「この技術のこの部分が素晴らしい」「この技術のこれは使える」と言ったとしてもその発言した人がどの段階にいるかで意味は大きく変わります。
まして色んな技術をツギハギしてみたところで、自分がそれを真に体現できるレベルになければ技術の本来の可能性は発揮できません。

しかし、そういったツギハギの技術の方が派手に見えて素人受けがいいのも事実です。

もしそういう段階の人がセミナー等で技術を広めたりしたら・・・形骸化した型が普及している理由もなんとなく見えてきそうです。


ちなみに正しく型を伝える人には共通点があります。
いずれ機会があれば書いてみたいと思います。



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