言語というのは便利なもので様々な情報を自分以外の人間に伝えるツールになります。

しかしながら同じ言葉であれば1対1対応で同じ意味を表現しているわけではありません。

人によって言葉の定義が微妙に異なることが多く、それを放置したままにしていると話が噛み合わなくなってきます。


ここでいう言葉の定義とは「その人がその言葉をどういうニュアンスで使っているか」ということになります。

言葉の定義はその人の知識、教養、経験から生まれます。

つまり相手との知識、教養、経験の量、質、幅などの要素の差があればあるほど、お互いのコミュニケーションは成立しづらくなります。



例えば最近よく使われる言葉に「力を抜く」「脱力」という言葉があります。

「脱力」の辞書的な意味を調べると「力が抜けること」とありますが、これを「力を抜く」と同じ意味かと問えば、人によって同じという人もいるし、違うという人もいるのが現実です。

ちなみに私は「意味が違う」と考えていて、説明の時には使い分けています。

「力を抜く」は能動的な行為であってまず「力を出す」ことが前提にあります。(「力が入る」のではないので注意)

「力を出す」ことで生まれる筋肉の反発力を吸収したり、緊張感をコントロールするのが「力を抜く」ことであると定義しています。

力が抜けてもフニャフニャ、グニャグニャになったり姿勢が崩れることはなく、力を抜いた状態でも動けるのは必須です。

一方「脱力」はフニャフニャ、グニャグニャの状態で、その状態では動きは生じないものと定義しています。


一般的な感覚で表現すると

力を抜く = 制御可能 = リラックスした体

脱力 = 制御不能 = 気を失った人の体

に近い意味で使っています。



この定義が正しい、間違っているという議論には意味がありません。

正しいか間違っているかを考えてしまう人は言葉に振り回されているだけです。


当然違う意味合いで「力を抜く」「脱力」という言葉を使っている人もいると思います。

細かいニュアンスを考えずに使っている人もいると思います。

しかし、技術として「力を抜く」「脱力」を考えた場合、その言葉を当てはめた技術の細かな定義を持っていないと稽古も質問も議論もできません。

また、その技術を知らない人との会話の中で、自分の持つ定義を相手に伝えないまま話していても理解されづらい上に噛み合わなくて口論になる、などということもよくある光景です。




話を聞く中で相手の言葉の定義を読み取っていくことは昔から「行間を読む」という言葉で表現されています。

これは言語・非言語を問わず相手の言葉や言葉の裏に秘められた様々な情報をを読み取ることであり、時に見せながら、時に隠しながらコミュニケーションするのが「駆け引き」で、これは「見切り」や「以心伝心」にも繋がります。

「言わなくては分からない」「説明がなくては分からない」は武道として遅いと言わざるを得ません。

武道に限らず、商談や渉外、詐欺行為においても言えることなのではないかと思います。




ここまで読んで「意味が分からん!」という方は何回か読んで行間を読み取って頂ければと思います。