2017年12月

治療家が武術を学ぶ前に考えて欲しいこと

前回、治療家にとって武術は「学んでおくと絶対的に有利だが、必ずしも必要ではない」とし、治療家が武術を学ぶことの有利さを述べました。

今回は「必ずしも必要ではない」という部分です。いくつかポイントがあります。



◯まず前提として

武術と一口に言っても様々なものがあります。
(ちなみにここでいう武術とは剣道、柔道などスポーツ化した現代武道は除きます。)

剣術、柔術などに始まり、槍術、弓術など、特定の技術のみ修行する道場もあれば、複数の流派の様々な技術を段階的に学ぶ道場もあります。
現代武道にあっては使う武器や戦い方が違えば、全く別物として触れもしませんが、戦国時代にあっては「武芸十八範」などという言葉があるように複数の武器や技術を満遍なく学ぶのが当たり前だったようです。
現代に残る武術(古武術)の流派の技術もそれら複数の武器や技術に裏打ちされたもので、その流派を代表するものを流派として名乗っているようです。
例えば剣術を名乗るか、柔術を名乗るかで間合感覚や体の在り方などは少し変わってきます。

また例えば同じ柔術でも◯◯流という部分の違いで技術の方向性が変わることがあります。
私が学んでいる合気道を例にとると、合気会系、養神館系、心身統一系、岩間系などで技術への解釈がかなり違います。
それに指導者毎の考え方の違いまで加わると、武術の道場で学べることにはかなり違いが出てきてしまいます。
本来は各自の学んでいる治療技術と表裏になる武術をセットで教えてくれるところを選べばいいのですが、現代ではそもそもそういうところを探すのが難しいのです。

治療家が武術を学ぼうと思っても、自分の治療をレベルアップさせてくれる武術はどの流派の技術なのか、というところでつまづいてしまうケースの方が多いと思います。



◯比べちゃダメだ!でも・・・

殺法と活法のどちらがより難しいかという問いはある意味タブーかもしれません。
治療家と武術家のどちらの方が上か、という意味に捉えられかねないからです。
本来表と裏で技術の違いはないので比べることはできないのですが、条件によって難易度の違いはあるような気がします。

殺法では相手が敵対を前提に稽古しますが、活法では相手は協力体制にあるため、殺法よりも技の原理を成立させやすいといえます。

殺法では壊すこと(痛める)を学びますが、活法では壊すギリギリのところを使って治療します。
治療では本当に痛めるわけにはいかないので痛める直前のギリギリまで攻め込む感覚を学びづらいといえます。

他にも色々とあると思いますが、総じて技術を学ぶには殺法の方がより厳しい条件になるため、より質の高い稽古ができると思います。

だからこそ武術を学ぼうと考えるのだと思いますが、同じ技術の表現が違うだけですから、殺法だから学べて活法だから学べないというわけではありません。

ただ、前回述べたように殺法→活法という学ぶ流れが一般的だったために活法には体の使い方や技術的な口伝が少ないという傾向があるということは押さえておかないといけません。




◯使える技術になるのはいつ?

治療家が武術を学ぶ上で1番のネックになるのがここかもしれません。
武術をある一定のレベルまで習得するには時間がかかります。誤解されると困るのですが、これは指導者が教えてくれないという話ではありません。
武道の原理や体の使い方は日常生活の延長上には無く、動きの中で使う筋肉が違ったり、働かせる順序が違ったりします。
それを意識することなく動きの中で出せるようなっていないと本当の意味で治療には生かせません。

つまり体の動かし方のプログラムそのものが変わるのです。これは意識せずともそういう動きになるという状態ですから、すぐには獲得できないのは当然といえば当然です。

また必ずその段階にたどり着けるとも限りません。ある流派では15年続けて芽がでればいい方なんてことも・・・。



◯自分が目指す先は?

自分がどういう治療家を目指しているか、というのはかなり大切なことです。それによって武術を学ぶ目的も変わると思います。

明日の治療に生かす、という目的で武術を学ぶとすると10年修行しないと身につかない、と言われても途方に暮れてしまいます。

しかし生涯をかけて自分自身を治療家として磨き上げる、という目的であるならば武術はそれに答えてくれるだけの可能性を持っています。

これは武士の時代であれば、明日戦場で生き残るために学ぶ、武術の真髄を極めるために学ぶ、という違いとも言えます。

自分の目的と費やせる時間を考えた場合、長期的に見ていずれ成果が出ればいいと考えるならいいのですが、短期的な成果のみを求めるならば、武術はあまりお勧めとは言えません。



◯実際両方学んでいる身としては

私個人は合気道を先に学んで、後に活法を学びはじめましたが、どちらの稽古でも「あ、合気道(活法)のアレと同じだな」と気づいて内心ニヤリとすることが増えましたし、稽古が進むにつれ、双方の技術や原理の分析がどんどん進むようになりました。
(合気道は段階が進んでいくと活法的要素の割合が増えてくるので、厳密には殺法、活法という区別はない)

生涯をかけて技術を向上させていこうとする治療家の方には是非何かしらの武術を学んで欲しいと思っています。



◯つきまとう問題点

しかしながら始めに述べたように、そういったものを学べる武術の道場、もっというと指導者がどこにでもいるわけではないのも事実です。

「治療家のための武術ボディワーク」的なセミナーも最近増えましたが、各自の方の持つ治療技術との相性は受けてみないと分かりません。


「必要な段階に至ったとき、師は目の前に現れる」という言葉があるそうです。

本当の意味で高みを目指し、驕ることなく稽古を続けていけば何かしらの出会いやチャンスがやってくるのだろうと思います。

言い方を変えると自分が情報を集める際のアンテナがどこを向いているか、ということです。

武術が自分に必要かどうかは自分の出会いという形で結論が出ると思います。
ですがそのタイミングが今なのか10年後なのかは誰にも分かりません。



最後にもう一度私の結論を

治療家にとって武術は「学んでおくと絶対的に有利だが、必ずしも必要という訳ではない」

治療家として目指す方向性によって自然に武術へ向かう人もいれば、そうでない人もいます。

どちらも間違いではありません。

治療家に武術は必要か?


私が現在学び、臨床で使っている活法・整動鍼は武術が元になっています。
武術の原理や思想に基づき、相手を倒す表の技を殺法、相手を治療する裏の技を活法と呼び、表裏一体の技術として戦国時代から伝えられています。

ですが現代にあっては殺法いわゆる一般的な武術の稽古をしている人が治療を学んでいるケースは少ないですし、武術を学ぶ治療家も多くはありません。
一部の鍼灸師やマッサージ師、柔整師などで治療に「気」を利用する人が気功や太極拳などを学んでいる話は時々聞きますが、それほど多くはありません。
だからと言って治療ができないというわけでもなさそうです。

そもそも治療家に武術(殺法)は必要なのでしょうか?



◯まずは結論から

結論を先に言います。

治療家にとって武術は「学んでおくと絶対的に有利だが、必ずしも必要ではない」です。


どんなものであっても専一にずっと研鑽していけばいずれはその道の達人となる可能性があります。無論条件付きではありますが。
治療も例外ではありません。ただしそれには膨大な年月がかかりますし、誰もがなれる訳ではありません。
武術を学ぶとその道を少し早く進むことができます。



◯治療家が武術に求めるもの

治療家が何を求めて武術を学ぶかというと
「治療に必要な体の使い方を学びたい」
という一言に尽きるのではないかと思います。

「治療に必要な体の使い方」とは何かと言われれば、対立を起こさない相手への触れ方、姿勢の作り方、体幹から力を伝える手足の使い方、間合感覚、意識の使い方、といったところでしょうか。他にも色々あるのですが、言語化しきれない要素も沢山あります。


要素として分かっていれば武術を学ばなくても個別に訓練すればいいだけなのですが、治療技術と体の使い方をセットで教えてくれる場所がないから治療技術の向上のために武術を学ぶ治療家がいるのだと思います。

なぜ教えてくれる場所がないのか?それには理由があると思います。

活法は様々な治療法の源流であると考えられています。
活法の歴史的な位置づけやその性質にヒントがあります。



◯殺法が先か活法が先か?

現代では殺法と活法の両方を教授する武術の流派はそれほど多くありません。
数少ないそれらの流派では基本的には殺法を稽古し、技の身についた者が活法を学ぶケースが多いようです。
学ぶといっても形を教えられるだけで、その技を成立させる要素は殺法で学んでいるから、余計なことは言わなくていいようなのです。

殺法が表、活法が裏とされていることからも分かるように、武術にとってのメインは殺法であり、活法はあくまでも参考技法的な位置づけです。
武術は戦闘技術であり、武士にとっては職業技能です。戦場で敵を倒すと手柄になりますが、治療が上手くても手柄にはなりません。必然的に殺法の技術が磨かれていったはずです。
そして、殺法のこの技をこのようにすると治療もできる、ということが次第に分かってきて今に至るのだろうと思われます。

つまり学ぶ主体である武術(殺法)を修め、体の使い方の出来ている者が活法を学んでいたため、治療(活法)を単独で学ぶものなどいなかったと考えられます。

活法の前提には必ず殺法があります。それを抜きに活法を学ぶこと自体がかなり難易度が高いと言えるのです。

そう考えると武術を学んでいる方が学んでいないよりも絶対的に有利であることが分かると思います。


このように書くと活法に武術は必須のように聞こえます。
ここで言いたいのは「武術を学ぶと治療には絶対的に有利であるということ」ですが私の結論は「必ずしも必要ではない」です。


次回はその理由について述べたいと思います。
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