2017年01月

活法と合気道③〜技術と道具〜

何らかの技術や能力を身につけようと思えば当然、時間がかかります。
技術と同等の成果を簡単に手に入れる方法があります。
それは「道具」を使うことです。

近年、家電などはどんどん機能が高度になり、お米の量から水の量まで教えてくれる炊飯器やポピュラーな朝食メニューを一気に調理できるレンジなど、人の手をほとんど介さずに済むものが増えています。
車も自動運転の技術が進み、いずれ人が運転しなくてもいい時代が来るのかもしれません。

道具は確実に技術と同等の成果を得やすくしています。




治療において鍼灸師の使う道具は素手に比べて大きなアドバンテージがあります。
私が学んでいる整動鍼は鍼という道具によって、活法と同じか、時にはそれ以上の成果を出す場合があります。
もちろん場合によっては整動鍼よりも活法の方が成果を出しやすい場合もありますが、体の使い方などの部分が重要になる活法と違い、鍼を刺すという行為のみで同じような成果が得られると考えると、整動鍼は鍼灸師にとってとても魅力的な技術です。


武術においても武器の存在は重要です。

素手よりも武器の方が、誰でも高い殺傷能力が得られます。
一口に武器といっても鈍器より刃物の方がが、刃物より銃器の方が殺傷能力が高く、効率的です。

しかし、ここで気をつけないといけないのは道具によって得られるのは「技術と同等の成果」であって「技術そのもの」ではないということです。


銃を撃てるようになることで、刀を扱えたり、格闘術が身につくわけではありません。

果物の自動皮むき器しか使ったことのない人が自然にナイフや包丁で上手く皮を剥けるわけではありません。

整動鍼で治療ができるからといって、自然に活法の技ができるようになるわけではありません。

自分の体を使った技術はそれ自体を学ぶ必要があります。


古武術の世界では剣ならば剣だけ、槍ならば槍だけを学んでいたわけではなく、武芸十八般などという言葉があるように体術、武器術、馬術、水術などあらゆる場面で必要な技術が流派ごとに一貫性を持って体系づけられていたようです。

特に日本の武器は体術によって武器の真価を発揮できるように作られており、戦闘術の部分のみを取り出しても体術と武器術は一体のもので、稽古することで相互の技術が上達していくのは当然のこととされていたようです。

合気道では剣を体術に現したものとされています。体術、剣術、杖術の稽古が互いにそれぞれの術を引き上げてくれます。
初心者はには全く別のものと映るようですが、稽古すればするほどその3つの技術は1つに収束していくのを実感します。


整動鍼と活法にも同じものを感じます。

活法の技術、それによって起こる体の変化は整動鍼におけるツボ選びの考えの組み立てに大いに役立ちますし、所作や作法、技の形などは患者さんの体に触れる上で大切なことを自然に学ばせてくれます。
また整動鍼におけるツボと体の各所の細かな連動を学ぶことは活法の技選びや技術の分析にも役立ちます。

治療というものの全体を見渡すと整動鍼と活法は1つのものであると感じます。


道具を介することで、大きな成果をたやすく得られる反面、体の使い方などの技術を身につける機会を失っているとも言えます。
道具によって仕事や生活が便利になる反面、運動量が減り、感性を磨く機会が減り、わざわざそれを補完するための道具やメソッドが作られるという不思議な状況もあります。

人間が生命を作り出せるようにならない限り、道具がどれだけ進歩しても人間の体を使う技術は色褪せないと思います。(それを汲み取る感性があること前提ですが)

活法も整動鍼も合気道も、まだまだ果たす役割は大きいはずです。

活法と合気道②〜型の持つ可能性〜

活法も合気道も1つの技を何度も何度も繰り返し稽古してその精度を上げていきます。いわゆる型稽古ということになります。 
最近は型稽古は同じことを繰り返すだけで創造性が培われず意味のない古臭いもの、という評価をする人も見かけますが、それはその人が中身のない形骸化した型しか見たことがない、稽古したことがないからだと思います。
現代は形骸化した型が多数普及してしまっているためということもあるのかもしれません。

型稽古には2つの側面があります。

①技術の再現手順
②自己変革の題材

実際にはこの2つは分けることはできませんが、いわゆる形骸化した型は片方だけの要素しかないものもあります。

ここから先の話は形骸化していない「型」の話になります。


◯手順通りやれば誰でもできる

技術の再現手順としての型は一般の方の型のイメージと重なります。
型は非常に合理的な理論が展開されているので、手順通りに行えば初心者でもそこそこの成果を出せます。

合気道で言えば素人に原理を体験してもらい「え?何今の?」と言ってもらえるレベルです。
活法で言えば施術によって患者さんに体の変化を感じてもらえるレベルです。この段階にコミュニケーション能力を駆使すれば患者さんからはゴッドハンド認定されると思います。

この段階はコツを身につける段階です。稽古の頻度や密度、指導者の力量にもよりますが数ヶ月〜数年で身につくのではないかと思います。

ビジネスに用いる技術としてはこの段階でも十分に成果が出ます。というよりはこの部分のみがビジネスのして宣伝したりセミナーをしたりできる部分だろうと思います。


◯型で自分の壁を破る

型によって原理を再現できるようになってもそれはただそれだけのこと。
「合気道って実戦で使えるの?」という質問をされることがありますが、この質問に対する詳しい答えはまた別の機会に別の場所ですることにして、ここでは原理を再現できるだけの段階では実戦では使えない人が多いだろうというだけに留めておきます。

ここで自己変革の題材としての型の意味合いが出てきます。
そもそも型というのは実戦の雛形ではありません。相手がこう来たらこう動く、という手順を使うのではなく、その型に取り組むことによって得られるその流派独自の体や心の使い方を身につけるためのものです。

型とは問いです。

正しい問いには答えが深まれているといいます。

型にはすでに答えがあります。その答えにたどり着くために自分がどうあるべきか、ということに向き合うのが型稽古です。

「自然に体が動く」などという体験にも示されるように無意識レベルで型の原理が再現できないようでは実戦での利用などおぼつきません。

その中でも心の働きは重要です。これは理論や指導法だけの問題ではなく年月をかけて悟っていく必要があると思います。

活法で言えば、こうした部分が患者さんに余計な緊張を与えずに施術することにつながります。つまりは安心感や信頼感です。

巷で言われるゴッドハンドと達人の差はこの辺りにあると思います。ゴッドハンドと呼ばれる人は数多くいますが達人と呼ばれる人はごくわずかです。


◯型は創造性を鍛える

合気道開祖植芝盛平先生はある日突然「この技はこうやる」と、ある技を前日までとは全く違う入りで解説し、それが型になっていったことがあるそうです。何か閃くものがあったのかもしれません。
私自身も説明しながらふと「これはこうするんじゃないか?」と閃き、実際に試すとその方が技の原理に沿っていた、ということがよくあります。

型は色々と考えて作られたものではなく、あるときふと体が閃いた動きを再現できるようにまとめたものではないかと思います。

新しい技や型が生まれるときがおそらくそうで、これは発明だとかイノベーションだとかの世界を変えるアイデアが生まれる瞬間と似ているのではないかと思います。


世界を変えた人々の中には瞑想という型を使っている人も多いようです。

顕在意識ではなく潜在意識が出す発想。

型は潜在意識を鍛えるためのものとも言えそうです。


◯それでも型は誤解される

よく「いいとこ取りをした◯◯」という宣伝文句を見かけます。その技法や流派の持つ「いいとこ」というのはその全体像を自分のものにして初めて見えるものです。
誰かが「この技術のこの部分が素晴らしい」「この技術のこれは使える」と言ったとしてもその発言した人がどの段階にいるかで意味は大きく変わります。
まして色んな技術をツギハギしてみたところで、自分がそれを真に体現できるレベルになければ技術の本来の可能性は発揮できません。

しかし、そういったツギハギの技術の方が派手に見えて素人受けがいいのも事実です。

もしそういう段階の人がセミナー等で技術を広めたりしたら・・・形骸化した型が普及している理由もなんとなく見えてきそうです。


ちなみに正しく型を伝える人には共通点があります。
いずれ機会があれば書いてみたいと思います。



伝えること

今日は地元で開催されたイベントを観覧してきました。


若い人達が自分の夢を語るもので、皆それぞれに熱い思いや目標があるのが伝わってきました。




◯自分のこと

若者たちの夢を聞きながら自分のことを考えていました。自分の夢は何だろう?

思い浮かぶのは活法と合気道のこと。

どちらも私がどハマりしていて、現在の生活の中心になっているとも言えるものです。

活法と合気道を必要とする人に活かしてもらうために、広く多くの人に知ってもらうことが現在の大きな目標です。


同時に新年早々ある人から聞いた言葉も頭に浮かびます。

「経験を共有できないものはピンとこない」


私の取り組んでいる活法も合気道も一般の人には未知のものです。
どれだけ言葉を尽くしても実際に施術を受けたり、稽古をしたりしているわけではないのでピンとこない。

活法や合気道をどのように認識してもらうかというのは非常に重要な問題です。



◯体験のジレンマ

体験は言葉以上に多くの情報を伝えます。それだけに「何を伝えるか」がとても大事です。

簡単で取り組みやすいもの、遊びの要素の強いものの方が多くの人にとって接しやすくなります。しかしそれによって伝えたい本質がぼやけてしまいます。

本質的なものを伝えないと他のものと誤解される場合がほとんどです。

活法を「◯◯療法」と名のつく新しい手技療法と同じと思っている人もいるでしょうし、合気道を空手と似たようなもの、柔道と同じようなものと考えている人も少なくないと思います。

もっとも、専門家以外にとってはそんな違いはどうでもいいことかもしれません。
活法なら症状の改善に効果があれば何でもいいし、合気道なら自分の求めるものに合うかどうかというだけの話。効果が無かったり合わなかったら他を探すだけのことです。

一般の人にとっては別に「活法」である必要も「合気道」である必要もないのです。
本質を伝えたいというのは専門家のエゴだろうと思います。

それ故「取り組みやすさ」と「本質を伝えること」にジレンマが生まれます。


◯何を伝えるか

本質を伝えることが取り組みやすさにつながればいいのですが、基本的に素人が専門性の高いものの本質をすぐに理解するのは無理な話です。
理解できないながらもそうした本質的な部分に興味を持ってくれる人にしか選んでもらえません。

個人的には「嘘をつかない」「誤魔化さない」という観点から考えても本質はぼやけさせない方が良いと思っています。

「何をして、どういう変化が体に起こるのか」ということを伝えるというのは活法にも合気道にも共通しています。
今年はできる限りそれを発信していこうと考えています。

活法や合気道に興味がある、価値を見出してくれる人により多くの情報を届けたいと思います。
誤解のみが広がる危険性ももちろんありますが、誤解を恐れているうちに話を聞いてすらもらえなくなってしまう可能性もあり、それよりはマシかもしれません。

忙しくなりそうです。


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