活法の原理「同調と同化」と合気道の関係です。

まずは活法の理論より。



◯筋肉レベルにおける同調と同化

ここでいう異常部位とは筋肉の過緊張のあるところです。
全体をギューッと緊張させ、正常部位が異常部位と同じ緊張度になると脳は区別がつかなくなり同じものと判断します。
そこで一気に力を抜くと、全て同じように緊張が解けていき、異常な過緊張が無くなるというわけです。



これが合気道ではどう使われているかというと、相手に掴まれた時に行っています。

1番基本的な片手取りで説明します。
相手はこちらの動きを制するべく全力で腕を掴んできます。
こちらは相手と一体になり、フッと力を抜くわけです。そうすると相手の力も抜けてきます。
これが合気道における筋肉レベルの同調と同化です。



あれ?と思った方もいるかもしれません。よく分からないし説明になっていない、そんなの分かっててもできない、と。
まさしくその通りで、これを理論通りに行うには前提となる要素が沢山、ありすぎるほどあります。
ですが、前提を持たない人に理解できる範囲の説明は多分これが限界です。
実際の稽古ではこれを実際に体感し、真似しながら実践し、徐々に身につけていくわけです。
私自身最初に教わった時、説明はチンプンカンプン、実際に体感するとさらにチンプンカンプンでした。
しかし、それを面白いと思いながら稽古できる人でないと理解も再現もできないと思います。

合気道の動きは日常生活の延長線上にはありません。言わば自分の脳のプログラムを書き換える作業です。簡単でないのは当たり前なのですが。

少し前置きが長くなりましたが今回は「相手と一体になる」という部分を説明していきます。
今回は体の使い方にヒントが欲しい方向けです。




【長文注意!内容も多少難しいので納得した上でお読み下さい】






◯相手と一体になる

「相手と一体になる」というのは言葉通りで、相手との衝突がないだけではなく、意識や動きも一体にならないといけません。
一体であれば反発も抵抗もありません。

私が受けた掴んでいる側の感覚としては「掴んでいるのにその場が無いような感じ」がします。

この要素の大前提として掴まれる側の体が「体が一つになっていること」が必要になります。

「体が一つになっている」を分解すると「体のどこにも力みがないこと」と「体の動きが繋がっていること」、さらに「必要な部分が必要な動きのみをすること」が大きな要素になると思います。

それぞれ「脱力」「連動」「コントロール」という風に言い換えることができますが、言い換えるとニュアンスに誤解が生まれます。
このニュアンスの誤解は体感によってしか埋まりませんので深追いはしません。





◯脱力

体の使い方の要素として、世の中に脱力という言葉は溢れかえっていますがここでいう脱力はグニャグニャで自分自身の体勢を崩すこととは異なります。
前提として「動けること」があります。動けないものはここでは扱いません。

先ほど「体のどこにも力みがないこと」と書きました。
一般的にただ立っている人はどこかしら力んでいるものです。力んでいるのは筋肉です。筋肉の力みによって関節が固まり、ぐらつかないようにしているわけです。
しかしながらこうした状態は動く上では不利です。なるべくなら関節は緩み、筋肉も適度な張力を保っている方が動きやすいし、体の力も伝わりやすいので、そういう状態が必要です。

その状態が全身でできればここでいう「脱力」になります。





◯連動

体は各パーツごとに個別に動いているように考えてられがちですが、実際は指一本動かすにも全身の働きが必要です。
連動についても色んな方が述べていますが、ここでは「体の力を手足に伝えること」というに留めます。体の力とは中心力です。中心力の出ている源は臍下丹田なのか臍なのか意見は分かれます。個人的には臍の意識を持つ方が臍下丹田を使いやすいのではないかと思っています。正しいかは今後も稽古の中で研究していきます。





◯コントロール

先の二つに比べ、この要素は語られることがありませんが、個人的には脱力や連動を制御する要素としてかなり重要だと考えています。

背泳ぎでの肩の可動域を例にしてみます。水泳は素人なので間違っているかもしれません。詳しい方は教えてください。
背泳ぎの時の手の動きとして、水から出た腕は肩と骨盤の線上にまっすぐ伸びて入水します。背泳ぎができない人は腕や手先が肩より外側を通るために推進力がうまく出せません。
泳げない方の他、肩周りが固くなってきた高齢の方でたまに見かける動きです。
一方で体の柔らかい女子小中学生などは手先が肩より内側を通り自分の頭の上に伸びている子もいるのです。
体の軸を生かすことを考えると腕や手先は軸を乱さないように使うべきであり、内にいっても外にいっても軸は乱れます。
可動域が広くても狭くても、動きに必要な範囲で使えていなければ結局は同じ「できない」につながります。


体の動きはある程度脳にプログラムされていて、それを実行しているので、意識しなくても体の連動が起こります。
しかし同時に余計なブレーキや動き過ぎが起こります。この原因は何かというと、本来動く必要のない場所や筋肉が動いてしまっているのです。

動きをコントロールするためには余分な動きを見極め、その動きを作り出すために無意識に動いている部分の動きを制限する必要があるのです。





◯足し算と引き算

一般的に動き方の要素は「動けない部分を動かす」「本来出せる力を出す」などというように足し算の考え方が多いのですが、「必要な部分が必要な動きのみをすること」というのは引き算の考え方です。

足し算の考え方の方がが刺激や感動があり、エンターテイメント要素が強く、モチベーションも上がります。
一方、引き算の考え方は素朴で無味、エンターテイメント要素もありません。ここに興味が湧かない人が多いのも納得です。


体の動きの追求は真に「動けることの快」を追求しているとも言えます。
しかし足し算の要素ばかりだと気づかないうちに「動ける自分を承認する快」にすり替わり、動けない自分に目をつむり、他人や技術そのものを批判したり、体の動きの追求から生まれた精神性の追求のみに偏ったりします。
(自分もそういう経験があります)


足し算も引き算も両方あって初めてバランスが取れるのはどの世界でも一緒だと思います。