原理の裏に当然のようにある前提について〜活法と合気道⑥〜

活法の原理「同調と同化」と合気道の関係です。

まずは活法の理論より。



◯筋肉レベルにおける同調と同化

ここでいう異常部位とは筋肉の過緊張のあるところです。
全体をギューッと緊張させ、正常部位が異常部位と同じ緊張度になると脳は区別がつかなくなり同じものと判断します。
そこで一気に力を抜くと、全て同じように緊張が解けていき、異常な過緊張が無くなるというわけです。



これが合気道ではどう使われているかというと、相手に掴まれた時に行っています。

1番基本的な片手取りで説明します。
相手はこちらの動きを制するべく全力で腕を掴んできます。
こちらは相手と一体になり、フッと力を抜くわけです。そうすると相手の力も抜けてきます。
これが合気道における筋肉レベルの同調と同化です。



あれ?と思った方もいるかもしれません。よく分からないし説明になっていない、そんなの分かっててもできない、と。
まさしくその通りで、これを理論通りに行うには前提となる要素が沢山、ありすぎるほどあります。
ですが、前提を持たない人に理解できる範囲の説明は多分これが限界です。
実際の稽古ではこれを実際に体感し、真似しながら実践し、徐々に身につけていくわけです。
私自身最初に教わった時、説明はチンプンカンプン、実際に体感するとさらにチンプンカンプンでした。
しかし、それを面白いと思いながら稽古できる人でないと理解も再現もできないと思います。

合気道の動きは日常生活の延長線上にはありません。言わば自分の脳のプログラムを書き換える作業です。簡単でないのは当たり前なのですが。

少し前置きが長くなりましたが今回は「相手と一体になる」という部分を説明していきます。
今回は体の使い方にヒントが欲しい方向けです。




【長文注意!内容も多少難しいので納得した上でお読み下さい】






◯相手と一体になる

「相手と一体になる」というのは言葉通りで、相手との衝突がないだけではなく、意識や動きも一体にならないといけません。
一体であれば反発も抵抗もありません。

私が受けた掴んでいる側の感覚としては「掴んでいるのにその場が無いような感じ」がします。

この要素の大前提として掴まれる側の体が「体が一つになっていること」が必要になります。

「体が一つになっている」を分解すると「体のどこにも力みがないこと」と「体の動きが繋がっていること」、さらに「必要な部分が必要な動きのみをすること」が大きな要素になると思います。

それぞれ「脱力」「連動」「コントロール」という風に言い換えることができますが、言い換えるとニュアンスに誤解が生まれます。
このニュアンスの誤解は体感によってしか埋まりませんので深追いはしません。





◯脱力

体の使い方の要素として、世の中に脱力という言葉は溢れかえっていますがここでいう脱力はグニャグニャで自分自身の体勢を崩すこととは異なります。
前提として「動けること」があります。動けないものはここでは扱いません。

先ほど「体のどこにも力みがないこと」と書きました。
一般的にただ立っている人はどこかしら力んでいるものです。力んでいるのは筋肉です。筋肉の力みによって関節が固まり、ぐらつかないようにしているわけです。
しかしながらこうした状態は動く上では不利です。なるべくなら関節は緩み、筋肉も適度な張力を保っている方が動きやすいし、体の力も伝わりやすいので、そういう状態が必要です。

その状態が全身でできればここでいう「脱力」になります。





◯連動

体は各パーツごとに個別に動いているように考えてられがちですが、実際は指一本動かすにも全身の働きが必要です。
連動についても色んな方が述べていますが、ここでは「体の力を手足に伝えること」というに留めます。体の力とは中心力です。中心力の出ている源は臍下丹田なのか臍なのか意見は分かれます。個人的には臍の意識を持つ方が臍下丹田を使いやすいのではないかと思っています。正しいかは今後も稽古の中で研究していきます。





◯コントロール

先の二つに比べ、この要素は語られることがありませんが、個人的には脱力や連動を制御する要素としてかなり重要だと考えています。

背泳ぎでの肩の可動域を例にしてみます。水泳は素人なので間違っているかもしれません。詳しい方は教えてください。
背泳ぎの時の手の動きとして、水から出た腕は肩と骨盤の線上にまっすぐ伸びて入水します。背泳ぎができない人は腕や手先が肩より外側を通るために推進力がうまく出せません。
泳げない方の他、肩周りが固くなってきた高齢の方でたまに見かける動きです。
一方で体の柔らかい女子小中学生などは手先が肩より内側を通り自分の頭の上に伸びている子もいるのです。
体の軸を生かすことを考えると腕や手先は軸を乱さないように使うべきであり、内にいっても外にいっても軸は乱れます。
可動域が広くても狭くても、動きに必要な範囲で使えていなければ結局は同じ「できない」につながります。


体の動きはある程度脳にプログラムされていて、それを実行しているので、意識しなくても体の連動が起こります。
しかし同時に余計なブレーキや動き過ぎが起こります。この原因は何かというと、本来動く必要のない場所や筋肉が動いてしまっているのです。

動きをコントロールするためには余分な動きを見極め、その動きを作り出すために無意識に動いている部分の動きを制限する必要があるのです。





◯足し算と引き算

一般的に動き方の要素は「動けない部分を動かす」「本来出せる力を出す」などというように足し算の考え方が多いのですが、「必要な部分が必要な動きのみをすること」というのは引き算の考え方です。

足し算の考え方の方がが刺激や感動があり、エンターテイメント要素が強く、モチベーションも上がります。
一方、引き算の考え方は素朴で無味、エンターテイメント要素もありません。ここに興味が湧かない人が多いのも納得です。


体の動きの追求は真に「動けることの快」を追求しているとも言えます。
しかし足し算の要素ばかりだと気づかないうちに「動ける自分を承認する快」にすり替わり、動けない自分に目をつむり、他人や技術そのものを批判したり、体の動きの追求から生まれた精神性の追求のみに偏ったりします。
(自分もそういう経験があります)


足し算も引き算も両方あって初めてバランスが取れるのはどの世界でも一緒だと思います。

活法の原理「押し引き」を合気道で生かすと急に技がかかり出す 〜活法と合気道⑤〜

活法は合気道と似ています。両方を学んでいる私が言うのだから間違いありません。

原理に似たものが多いのです。今回は活法の原理の一つ「押し引き」を取り上げたいと思います。


◯押し引きとは?


文章からも分かる通り、押し引きは相手をコントロールするためのテクニックです。武道の技に生かされていないはずがありません。
元々を考えれば活法よりも殺法が先にあったと考えられますので、当たり前と言えば当たり前です。


セミナー内容の勝手な暴露はルール上許されていないので、押し引きのやり方は活法研究会のセミナーで教わって下さい。



◯合気道における「押し引き」
合気道の技で押し引きが見やすいのは固め技の「一教」です。

youtubeで動画を見ると開祖の演武動画の一教には押し引きの雰囲気が見て取れます。(おそらく開祖は無意識にやっています)



0:45の二代目道主植芝吉祥丸先生の技と1:14の開祖植芝盛平先生の技が見やすいと思います。

押し引きがあるので受の相手が一教でいいように崩されているのも納得です。
ちなみに押し引きを知らない人が観ると八百長に見えると思います。


活法を学んでいる方には押し引きの使い方は一目瞭然だと思います。

合気道を学んでいる方は「崩しのところ」と言えば分かるかと思います。


実際、白帯の方に押し引きを伝えて技をかけてもらいましたが、技のかかり方が全く違ったものになりました。
腕だけに影響していた技が急に体全体にかかる感じがありました。


一教は合気道の原理が豊富に詰め込まれている技で、難しい技トップ3を選ぶとしたら外せない技です(笑)

難しさの要因としてこの「押し引き」の問題があるのは間違いないです。


合気道での使い方は私が会長を務める横手合気会の稽古の中でお伝えしています。


7年目に思う

私が平城鍼灸整骨院を開業したのは平成23年3月1日。
今日で6年が経ち、7年目のスタートということになります。

短いというわけではありませんが、長いというほどでもない、なんとも中途半端な年数です。
ですが開業して5年後も残っている治療院は全体の1割と言われる業界の中での6年と考えれば長いといえなくもなさそうです。

合気道の方はというと、大学生の頃からなので20年以上になります。
一般の感覚だと長いかもしれませんが、個人的な感覚でいうと、まだ20年しか稽古していない、という感覚です。

合気道で飯を食っているわけではないので、稽古に費やす時間も生活の中の一部だけです。
それでも稽古の方向性だけは間違えないように常に気をつけています。

一方、一昨年から学び始めた碓井流活法は1年半くらいです。
最近は活法の名を冠していても武術的な要素を全く持たない技術を伝えているセミナーも増えていると聞きます。
活法という名前自体は広い意味では「活かす法」であり、必ずしも武術との関わりがなくてもいいとも言えますが、古今東西の治療技術の源流として日本に古来より伝わる活法は武術の裏技であり、その名残を技術体系の随所に残しています。
私が碓井流活法に惹かれたのは、合気道という武術と同じ原理や要素を持っていると感じたからです。

つまりは「本物」だと感じたからです。


現在は、セミナーに参加して型とコツを教わり、帰ってきて治療に使い、自分の血肉に変える作業の真っ最中です。

ということは技術的に不十分では?と思うかもしれませんが、そこは心配ありません。
活法は型通りに行えば必ず変化を出せます。
これは武術に関しても言えることですが正しい型は術者を助けてくれるのです。これもまた本物の証です。
型とはどんな人であってもその道を正しく進むための道しるべでもあるのです。


活法から生まれた鍼灸技術である整動鍼は世に出てからまだ数年ですが、治療経験1,2年の人が10年以上の経験を持つ人を超える可能性を持っています。

鍼は未だ人知を超えた道具である気がします。その証拠に現在もそのメカニズムは完全には解明されていません。
鍼はそれ自体が道具としては優秀過ぎるのです。

古来より伝わる優秀な道具が、本物の治療技術と出会って生まれたのが整動鍼です。

即効性、再現性、簡潔性においては他の追随を許しません。使えば使うほど、本物だと感じます。


ただ一つ残念なのは、これだけ素晴らしいものがあるのに、東北には全くと言っていいほど仲間がいないことです。

活法も整動鍼ももちろん合気道も、一過性のブームで終わるようなものではありません。
そうした価値あるものだからこそ、本物を求める人が学びに来るのだと思います。

活法も整動鍼も学ぶことが目的ではなく、どう活かしていくかです。
合気道も同じで、開祖は弟子に「儂は合気道でお前たちの個性を伸ばしてやるんじゃ」と言っておられたそうです。

方向性を違えることなく、この1年を歩んでいきたいと思います。
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